広島学院中学合格体験記

  • 広島学院中学 合格
    安古市校
    安田小 出身
    僕は小3の時に、鷗州塾安古市校に入りました。迎えた授業初日。本当に驚きました。なぜなら生徒が僕だけ…(笑)。しかし、良いこともたくさんありました。それは僕にとって恩師となる2人の先生に出会えたということと、その2人からマンツーマンの授業を受けられたということです。夏休みになり、やっと1人仲間が増えました。模試で7位をとったり、いろいろありながら、楽しく過ごしていました。そんな中、僕には2つの目標がありました。1つ目は、「広島学院中学校合格!」、2つ目は「打倒、開智の人たち!」でした。理由はどちらも簡単です。将来の夢の実現に向けて学院でどうしても学びたかったからと、模試で開智学館に通う人たちが成績上位にいることを校舎に貼りだしてあるランキングで知ったからです。それから、この2つの目標を胸に受験まで頑張っていきました。と、ここでここまで読んでいただいた方に2つお知らせがあります。①僕は本当にとても気まぐれです。②これはあくまで合格体験記なので勝手なら勉強法は一切書きません。先ほど述べたのは、小3の「ある」出来事の前までですので、今からその出来事から今までを頑張って読んでいただきます。参考にしなくてよいので、そんな受験までの道もあるんだということを知ってもらえたらうれしいです。では話を続けます。小3の終わりごろ、安古市校の新小4の時間割に土曜日が組み込まれており、僕が通う小学校では土曜日の午前に授業があることから、別の校舎へ転校することとなりました。先生から「成績も安定しているし、開智学館へ行ってみてはどうか」とすすめられたこともあり、開智学館の入塾テストを受けてみることになりました。見事に気まぐれ(良い意味で集中力・ひらめきが全開な様子)を発揮!!幸運にも「打倒開智メンバー」と言っていたその人たちと一緒に勉強する運びとなりました。今は校舎が駅前にありますが、当時は上八丁堀にあり、そこへ通い始めました。と、ここまでは順調に進んでいますが、実際に開智学館へ足を踏み入れ驚きが多すぎてうんざりすることも・・・。天才がごろごろ、というより天才であふれているといった方が正確かもしれません。そしてもうひとつ残念なことに僕はここで気付いてしまいました。社会が驚くほど苦手だということに…。小4の模試は偏差値50~55をさまよっていました。小5になり、歴史の勉強が始まり…やっぱり社会が足を引っ張りました。もやもやした気持ちを抱えながらも日々は過ぎていき、天才たちに突き放されながら小5の11月になりました。僕は、古巣の安古市校へ戻ることを決心しました。安古市校へ戻ると、2人の恩師はそのままでしたが、生徒が誰ひとり知らない状態。まさに浦島太郎。これなら戻らなかった方が良かったのかも…と思っていました。しかし、安古市校のメンバーたちはみんな明るく優しい仲間ばかりで、1か月後にはほぼ全員の男子と仲良くなれていました。社会も僕の恩師の文系の先生が入試に向けて何とか仕上げてくれました。小6になるとSSクラスにもSクラスにも仲の良い友達ができました。ここからとてつもない速さで時間が過ぎていき、とうとう1月を迎えます。最初がAICJの試験でした。本当のことを言うと、早慶まではたぶん合格できるだろう、東医Hは正直無理かな…と思っていました。しかし、ネットを見て二度見しました。東医Hコースでの合格をいただいたのです。そのおかげでとても自信がつきました。最後の山場が修道、学院、附属の三連続受験。結果、附属は補欠まで行きましたが結局繰り上がらず・・・。でも修道と学院から合格をもらうことができました!小3の時の目標、達成です!!そのあとは、遊んで遊んで遊んで、少~し勉強をして、遊んで遊んで遊んで、母に怒られ(笑)しぶしぶ勉強を始め今に至ります。ということで、小3から今までの長く短い旅は、ここで終了です!最後まで僕を温かく見守ってくださったすべての方、ありがとうございました!!

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